日記

人類学、社会学、哲学、写真、カメラ、虫、魚、旅行など。ごちゃまぜです。

カイロ1日目(1/23) 日記

仮にもものを書く仕事をしようと考えているので、考えたことや体験したことをレポート以外で形にできるようにならなくては、と思っているのだが、あまりうまくいったことがない。今回もいつまで続くかはわからないが、日記形式で重く考えずに書こうと思う。写真はまた後日で。

前日23:30(日本)
フランクフルトへのフライト。フランクフルトの天候不良で飛行機が来なかったとかで、予定より10時間とか遅れた。ドイツでうっかりホルストヴェッセルリートを口ずさんでしまわないか緊張した。中学の時に聞いて以来耳に残って離れないのだ。

6:00
フランクフルト着。遅れのせいで1泊することはできなかったが、13時のカイロ行きのフライトには少し余裕があったので、一時入国して市内に出ることに。店も空いてないので特にどこも行かなかったが、フランクフルト中央駅の駅舎とその周辺を散歩した。
スモーカーが存外多く、駅の外で歩きタバコをする人が目立った。屋外にある駅のホームにも灰皿が置いてあった。
駅出てすぐ東横インがあった。

13:00
フランクフルト発
空港でサンドイッチとヴルストを買った。バリ出身だという店員が良くしてくれて、おまけでバゲットをくれた。しかし物価が高い…。日本で100円ちょいのものが3ユーロはかかった。
飛行機でエジプトアラビア語の勉強をした。ニューエクスプレスの教科書を読んでると、エジプト出身でカナダ在住だというおじいちゃんが話かけてきた。エジプトのアーンミーヤ(口語)は基本的な単語がフスハー(古典語、文語)と全然違うんですねというと、アーンミーヤは地域の言語に影響を受けているから全然違うと教えてくれた。エジプトの場合はフランス語、コプト語トルコ語の影響が大きいと言っていた。どの表現が該当するのか、今度誰かに聞いてみたい。
おじいちゃんは瓶ビールを飲んで爆睡し、CAさんに心配されていた。
ルフトハンザの機内食は刻んだパプリカとかの野菜を刻んだのとチーズのサンドイッチで、あんまりおいしくはなかった。ベジタリアンに配慮されてたりするんだろうか。

21時
カイロ着。ビザの発給、両替、simの購入など諸々やって疲れた。ユースホステルまではバスでも行けないことはなさそうだったが、日本出て以来まともに寝ておらず疲れたのでタクシーで行くことに。ふっかけてくる運転手が大勢いた。空港内の時点で、スーツを着て髪を固めた胡散臭いビジネスマンふうの男がタクシーを紹介すると言ってきて、ダウンタウンまで25米ドルだと言った。すぐ断ったが、20キロ以上あるので先進諸国での料金を考えれば、案外良心的だったかもしれない。マニラでその倍近く取られたのは苦い思い出だ。
空港を出るとすぐ、何人もの運転手に話しかけられた。調べた限り相場は100エジプトポンド(1EGP=4.4円くらい)以下ぽかったが、だいたいどの人も400EGPくらいふっかけてきた。警察や清掃員にまともなタクシーがどこでつかまるか聞いたが、あんまり答えたくなさそうだった。多分運転手たちとの関係があるのだろう。
少し歩くと空港公認のタクシーが止まっていたが、値段は同じようなものだった。今の日本は貧乏な国だとか、自分は貧しいバックパッカーだから70EGPしか払えないとか言ったが、それでも250EGPより先には一歩も引かなかった。いい加減疲れたので、220EGPで乗せてもらうことに。相手は生活かかってるのに1000円ごときでうだうだ言って申し訳ないという気持ちにもなるが、町の物価を考えればこの人らはそれなりの暮らしをしてるのかもしれないとも思う。
運転はめちゃくちゃ荒く、レーンなどないかのように縦横無尽に走っていた。ウィンカーなど出さないし、車間距離もやばい。何より、左ハンドルだから助手席に座ると自分が運転しているような感覚になるのがスリリングだった。タクシーを運転していて事故ったことはあるかと聞くと、あるし、自分も客も怪我をしたと言っていた。アラビア語混じりでよくわからなかったが、何も問題はなかったという(どこが?)

翌1:00
ユースホステルにチェックイン。1泊1300円くらい。ポルトガルから来た集団がいた。東京だか京都だかは王の都という意味なんだろと聞かれたが、京都ってそういう意味あるんだろうか。よく知らないけどと前置きしたうえで、京都は単に都という意味で東京は東の都という意味だと言った。
街路には犬はおらず、猫があちこちにいた。ねずみはいたがゴキブリはまだ見ていない。夜遅くまで道端で水たばこを吸っている人達がおり、風情がある。
客室のドアがめちゃくちゃ固く、ガチャガチャやっていたら中から女の人が出てきてびっくりした。エジプト人、他のアラブ人はダメだが、男女同室なのだそうだ。