日記

人類学、社会学、哲学、写真、カメラ、虫、魚、旅行など。ごちゃまぜです。

小林正樹監督『切腹』感想

変なメガネの人の集団自決発言も話題なことだし、かねてから気になっていた小林正樹監督の『切腹』を観た。一言でいうと、士官先と家族を失い無敵の人になった浪人(仲代達矢演)が、娘婿を切腹に追いやった井伊家に復讐を企てる映画、ということになろうか。

最後まで見てまとめるとそういう復讐譚ということになるのだが、それより重要なテーマは、下っ端を理不尽な死に追いやり、かつ体面を保とうとする武士の精神へのアンチテーゼらしい。こういうのは、戦後高度経済成長期の社会派ヒューマニズム映画でたまにある。具体的な題材は、本作品のように武家社会だったり、日本軍だったりする。

切腹やらを考える上で私が一番関心があるのは、実際にそれがどんなものだったかというよりは、そこに現代に生きる人間が何を投影し、見ようとするのかということである。戦後左翼知識人が前近代日本のこの因習に見出したのは、弱者に責任を負わせ、家やら公儀やらを保とうとする日本社会の本質とやらであった。多分彼らは現代日本社会にもそうした前近代の残滓をみとめ、提起したのである。そこに、自らとは異なるものをまなざそうとする西洋社会のオリエンタリズムが重なり、問題は複雑になっている。この『切腹』とか今井正の『武士道残酷物語』とかが国際的にというか西洋映画市場で高い評価を受けたことと、件の「集団自決」発言がNYTで滑稽なほど大きく報じられらことと、1ミリくらいは関係があると思う。

ところで、こういう社会派ヒューマニズム映画を作る人たちは、純粋に悲惨な境遇に共感して描写しているのか、それともそこにサディスティックに欲情しているのか、よくわからないところがある。実際、『切腹』においても物語序盤の「切腹」描写は白黒ながら凄まじい(真剣ではなく竹光で切腹する)し、その残酷さや切腹までの彼の悲惨な境遇が、終盤の主人公による復讐を爽快なものにしてもいる。これは映画に限らず、普段目にする事件とか事故の社会部的な報道でもそうだ。例えば凄惨な暴力事件の記事は、記者としても取材に力を入れるだろうし、ウェブ媒体でのPV数も伸びるはずだ。別にそれが悪いと思うわけではない(製作者が完全な正義漢ヅラしていたら冷笑の一つもしたくなるかもしれないが)。ただヒューマニズムやら被害者への共感やらからはみ出る被虐心が、何となく愛おしく、もっと知りたいと思うだけである。